北國新聞 2014年10月09日 掲載

鈴木大拙は「東西の懸け橋」 1963年のノーベル平和賞候補 東大教授が推薦書 高崎経済大の吉武教授が文書確認

「東西の生きる懸け橋」として、ノーベル平和賞に推薦されていた鈴木大拙

1963年のノーベル平和賞選考で、金沢出身の仏教哲学者鈴木大拙が候補に推薦された詳しい経緯が、高崎経済大の吉武信彦教授の研究で分かった。禅の思想を西洋で普及し、「東西間の生きる文化の懸け橋として国際平和に貢献した」との内容で、吉武教授がノルウェーのノーベル賞委員会が保管する選考資料を閲覧し、推薦人となった東大教授のしたためた文書を確認した。

推薦書などの資料は非公開指定が解かれる50年経過後も一部の研究者にしか閲覧が認められていない。大拙と交流した研究者の著作などから候補となっていたことは分かっていたが、推薦理由の詳細は一般に知られていなかった。

推薦書は1963年1月23日付で、大拙を高く評価していたという宗教学者、岸本英夫東大教授が英文で執筆している。当時の文部省からノーベル賞の候補を求められ、大拙を選んだという。

推薦書には、大拙が禅の普及を通して東西間の理解を進め、世界平和に貢献している旨の理由が展開されている。

大拙が優れた仏教学者であり、禅の思想を西洋人にも理解しやすいよう説明した人物であると紹介。1950年代後半から西洋で起こった「ブーム」とも呼べる一大文化潮流を生み出した功績をつづり、この東西の相互文化理解こそが、国際平和につながると結論づけている。

大拙の論文リストや略歴も添付され、吉武教授は「他の候補者と比べても見劣りしない丁寧な推薦書で、岸本教授の深い思い入れが伝わる」とする。

●赤十字国際委員会が受賞

だが、大拙は最終候補者に残れなかった。吉武教授によると、大拙が推薦された年は例年以上に多くの候補が上がり、国際的にも著名な人物が多かったという。審査の結果、この年は発足100年を迎えた赤十字国際委員会に落ち着いた。

吉武教授は、「国際平和に、より直接的に関わった候補が好まれたのではないか」と推測した。

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